愛する人や、とても大事にしていたものを失ったとき、人は悲しみなど様々な感情を経験しながら、徐々にそのショックから立ち直っていきます。
その過程を「喪の作業」といいますが、その過程において身体症状を呈することは、決して珍しいことではありません。
それは、めまいやふらつき、耳鳴りのようなものかもしれませんし、身体の痛みかもしれません。もちろん、身体症状が現れない場合もあります。
ずいぶん前になりますが、ある男性が長年連れ添った奥様を亡くされた後、3ヶ月ほどして全身に痛みが現れ始め、それから半年近くもの間、夜も眠れぬほどの痛みで耐えがたいので何とかして欲しいとの依頼がありました。
当然のことながらすでに医療機関を受診し、精密検査等は行っているとのことでお引き受けし、問診の際の訴えの内容や訴えるときの様子から、これは喪の作業による種々の感情が身体化したものだという見立てをしました。
喪の作業による身体(化)症状の場合、大事なことは、症状を取ることにとらわれないことです。それよりももっと大事なことがあるからです。
さっそく「症状を取ることにとらわれない鍼灸治療」を週1回のペースで始めたところ、ほどなくして「眠れないほどの痛み」が軽減していきました。
さらに続けていくと、痛みの部分が全身から部分に限局されていき、
「まだ痛むには痛むが、動かさないでいると筋肉が弱ってしまう」という言葉が出始め、
治療を始めて3ヶ月がたった頃、施術中に男性が、
「妻と生前、一緒に利用しようと話していたデイサービスに見学に行ってみようかな」と話し始めました。
私はこの発言を聞いて、男性の喪の作業がひと山越えたと判断し、治療を終了することに決めました。
男性は、奥様と良い意味での分離が進み、たとえ一緒でなくても、デイサービスに行ってみようという気持ちが芽生えるようになったのです。
喪の作業において現れた身体症状の場合、大事なことは、その症状を受容することです。
患者さんはもちろん受容する余裕などありませんから、施術者側にまずその姿勢が求められます。
この男性にとって、眠れないほどの全身の痛みは、喪の作業を進めるうえで出るべくして出たものです。もっと穏やかに進められればよかったのでしょうが、それだけ大きな出来事だったともいえるでしょう。
それを理解しようとすることなしに、とにかく取ってしまおうというのは、悲嘆にくれて泣いている人に向かって、他人事として「泣くな」と言っているようなもので、喪の作業をよけいにこじらせ、長引かせることになります。
喪の作業が進めば自ずと症状は治まっていくわけですから(そう簡単に進まないことも多々ありますが!)、そのためにあえて受容するのです。
湘南さがみはりきゅうマッサージ
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